タイ

【タイ一人旅】バンコクの線路沿いで生活する人たち 

     日中の日差しが強烈な時間は、冷房のギンギンに効いた室内でうだうだするのがすっかり日課になっていた。4月のバンコク、1年の中で最も暑い時期と言われているが、確かに観光するのが億劫になるほど暑くジメジメしている。

      インドに引き続き、タイに着た時期も間違えたのだろうか。暑い、暑いと、暑さから逃れ室内で過ごす時間が増える日々。暑さですっかり引きこもり状態で過ごしていると、カオサンロード付近の宿に滞在してから既に19日が経っていた。 

     タイといえば、アジアを代表する観光大国である。ざっと調べただけでも、バンコク周辺には観光名所が目白押し。初めてのタイ。行きたい場所は両手で数えきれないほどある。しかし、暑さに弱い私は観光に出掛けることができなかった。

     陽が傾き始めた頃、ようやく外に出て歩き始める。日課になった夕方の散歩をしていると、暑さで頭が朦朧としてしまったのか、普段の散歩ルートから外れ見慣れない通りを歩いていた。

     道なりに沿って真っ直ぐ進んでいたつもりだったが、気がつくとシャッターの降りた暗い商店街の中を彷徨っていた。治安の良いバンコクでも、歩くのを躊躇ってしまうほど陰鬱な雰囲気が漂っていた。

      商店街を歩いていたが人の気配はなく、人とすれ違うことがなかった。通路の隅っこでは、真っ黒の野良猫がブスっとした表情で遠くを眺めているのが不気味さをさらに引き立てていた。

     まだ明るい時間だったが、気を引き締めて警戒しながら足早に駆け抜けた。そして人が通るのがやっとくらいの細い道を進んでいくと、視界が開けた。

   「ふぅー」とため息をつくのもつかの間だった。弧を描くように伸びた線路と線路の間には椅子が置いてあり、人が椅子に座っているのが目に止まった。そして線路沿いには商店が数件並び、暇そうに店番をしている人たちがいた。

      遠くから見ると治安が悪そうにみえる。とんでもない所にきてしまった気がした。

     コルカタにある線路沿いのスラム街や、ダッカの線路沿いで暮らす人々は写真で見たことがあった。そしてバンコクでは線路沿いの商店街は観光名所になっている。

     しかし、ここは観光地と呼ぶにはあまりにもかけ離れたローカルな雰囲気。線路の上を歩いてみると、飲み終わった空のペットボトルや空き缶、タバコの吸い殻、そして食べ物の袋が散乱している。近付いてはいけないように思えてきたが、もう少しだけ歩いてみることにした。

     観光客が来ることはないのだろうか。線路沿いを歩いていると物珍しそうに私を見ていた。始めは油断せずに警戒して歩いていたが、環境面は悪いものの普通に生活をしている人々が多かった。商店ではジュースやお菓子などが売っており、街中の露天と売ってるものは変わりない。

  線路の上では子供が遊びまわり、警戒心はすっかりと消えてしまった。線路の上で雑談をしている男たちに近づいて話しかけてみると、意外にも英語が通じた。

     その中の兄貴分的な男が「あんたどこから来たんだ?」と訪ねてきた。「カオサンロード付近の宿から歩いてきた。」「いや。違う。どこの国出身だ?」「日本。」「日本?」と聞き返されると、男の表情が柔らかくなった。

 「姉が数年前まで日本で生活をしていたんだ。日本のどこだっけなー。」どこだっけなーと言われても、私にはわからないが、とりあえず一番わかりやすそうな「東京?」と聞いてみた。「そうそう。東京。東京。」と名前を思い出したのか、あるいは話を合わせるために適当に相槌を打ったのかもしれない。なによりも「日本」という国を言っただけで好意的になってくれたのは良かった。

     世間話をしていると、「ブォーン」と電車の汽笛が会話を遮るように鳴り響いた。音のする方を振り返ると、電車がゆっくりと迫って来ていた。私はすぐに安全な場所に移動した。しかし、線路脇に座っている男は迫り来る電車に無関心で、その場を離れようとしなかった。徐々に近づいてくる電車。見ている私の方が怖くなってきた。

     電車と男の距離が5メートルくらいになると、再び「ブォーン」と耳を塞ぎたくなるほどの大きな汽笛が鳴り響いた。その音は最終警告のように聞こえた。しかし、男は身動き一つせずに座っている。なによりも目を疑ったのは、男の膝の上に2〜3歳くらいの子供が乗っていることだ。大丈夫なのだろうか。

     電車は男の脇をわずか1メートルほどの距離で走り去ると、速度を落として停車した。5分くらい停車していただろうか。今度は逆の線路から下り電車が迫ってきた。さすがに電車が通るせいか線路の上で雑談していた男たちはしぶしぶ線路と線路の間に移動した。

     電車に挟まれながらも、腕に刺青を入れた兄貴分的な男と話をしていた。電車の線路沿いは土地が安いらしく、ここは駅の付近で速度が遅いから脱線事故などの問題はないようなことを言っていた。が、想像以上に電車との距離が近く、男の話に耳を傾ける余裕がないので適当に相槌を打っていた。

     住んでみると側から考えているよりも電車が通ることなど気にならないのかもしれない。私は空港付近のアパートに住んでいたことがあり、そこは飛行機が離陸していくルートに入っていた。遊びに来た友人は、飛行機が離陸していく音に驚く人が多かった。「よくこの環境で寝れるね。」と言われたことがあるが、私は飛行機の音など気にしたことがなかった。

      ここに住んでいる住民も、電車が通ることなど気にする素振りすら見せなかったし、電車の走行音もすでに日常生活の一部になっているように思えた。

     帰り道は線路沿いを歩いて戻ることにした。インドやスリランカでも見たが、電車の線路のはずなのに道として歩いてる人が結構いる。確かに真っ直ぐなので迂回するよりも楽だが、国によっては罰金か、最悪の場合逮捕される可能性もある。なにより、電車が忙しなく行き交う先進国では、逮捕以上に身の危険の方が心配になってしまうのは私だけだろうか。

 

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