南アジア

旅の終わりを迎えるとき

 始まりがあれば、終わりを迎えるときがやってくる。旅をしているときは、旅の終わりについて考えたことは一度もなかった。自由気ままな一人旅は、人との距離を適度に保ちながら次の街へ、次の街へと移動していく。国を転々と移動して、言葉が通じない見知らぬ街に滞在する。そこで目にした出来事を画像に残し、そこで得た経験をメモして記事にする。

 旅を記録していくことで、些細な出来事ですら忘れがたい思い出となっていく。たまに自分で書いた記事を読み返してみると、旅の記憶が鮮明に蘇り新たな旅へと駆り立てる。

     2016年の9月から始まった旅は、カトマンズからバンコクへと向かう途中で終わりを迎えた。思えば、6カ月ほどで旅を終わらせる予定で日本を離れたが、気がつくと旅を始めてから2年半近くが経っていた。長い旅だったようで、短い旅でもあった。

最初から最後までひとり旅

 私の旅を一言で表現するならば、「贅沢な一人旅」という言葉がぴったりだ。金銭的な贅沢をしたことは一度もないが、何に縛られるわけでもない自由な時間を過ごしていた。起床する時間も、どこへ移動するかも、どんな食事をするのかも、全て自分の赴くままに決めることができた。

 私はあるとき、「贅沢な旅」について考えたことがある。5つ星ホテルに滞在し、飛行機はビジネスクラスでの移動、そして食事は高級レストランで優雅なひと時を過ごす。旅の期間は限られており、毎日のように忙しなくスケジュール(観光地巡り)をこなす旅。若干ステレオタイプ的な贅沢旅だが、お金をたくさんかけたとしても贅沢な旅とは言い難い。

 お金を使わなくたって贅沢な旅をすることができる。何にも縛られない自由きまな旅こそが、私の考える「贅沢な旅」と思うようになった。自由な時間、ある程度のお金、そして煩わしい人間関係が一切ない。今回で旅は一旦終わりを迎えるが、またふらふらとあてのない旅に出たい。

旅は思い通りにいかない

 私の旅はラテンアメリカから始まり、欧州、アジアとアフリカ大陸を除いて各地を転々としてきた。飛行機、列車、バスや乗り合いバンなどの移動では、予定時刻通りに進むことはあまりなかった。

     インドの列車移動では、長い時間(6時間ほど)待ったことがあった。ウクライナのバスや乗り合いバンは、車の故障で予定時刻を大幅に超えてしまった。そしてラテンアメリカでは、飛行機のキャンセルで移動することができない時もあった。

あと10分」という言葉が、15、20、30、60分と当たり前のように伸びていく。時間なんてあってないようなもので、成り行きに身を任せるしかない。予定通りに物事が進まなくても、気軽に待つことができるようになったのは大きな成長だ。

    1時間遅れならオンタイム。2時間遅れなら少し遅れている。3時間遅れならアクシデントでもあったのか。キャンセルならそんな時もあるさ、と気楽に考えられるようになったのは旅を続けたからだろう。

 旅をしていると、切っても切れないのが待ち時間。旅を終えた今では、「ぼーっ」と何もせずに待ちぼうけている時間が懐かしいとすら思えてくる。駅で5時間何をするわけでもなく電車がいつくるか待ちぼうけ。普通に考えれば、イライラしてしまいそうだが、今思えば何もせずにぼーっとできるリラックス時間のようなものだった。

旅を振り返ってみる

 旅について振り返ってみると、観光地巡りをしているよりも、あてもなく街をふらふらと散歩している時の方が記憶に残っている。散歩がてらによった地元の人が集まる公園の景色。若い夫婦はベビーカーを押しながら淡々と歩く光景。子供達は芝生の上を駆けずり周りはしゃいでいる光景。そして若者たちは何をするわけでもなく、芝生の上に座って電子タバコをふかしている光景。観光客が押し寄せるような観光地ではないが、そんな素朴な生活風景が妙に印象に残っている。

おわりに

 何をするわけでもなく、ただ時間が過ぎ去って行く日々は贅沢な時間の使い方だったと改めて思う。老後に何がしたいかと聞かれたら、私は真っ先に「身体が動くうちに旅がしたい」と答えるだろう。時間に追われるわけでもなく、目的地があるわけでもなく、街を転々としていく。過去に旅した街を歩きながら、当時の記憶を辿るようにして旅するのも楽しそうだ。

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