ポーランド

【ポーランド一人旅】アウシュヴィッツ第一強制収容所を訪ねてホロコーストの歴史を学ぶ 

  アウシュヴィッツ第一強制収容所と第二強制収容所ビルケナウは、年間200万人が訪れるという人気観光地。1日で計算すると5480人ほどの観光客がアウシュヴィッツ収容所を訪れる。わざわざ真冬の寒い季節に来る人は少ないと思うので、夏の期間はもっと観光客が多そうだ。

  クラクフを10時に経ち、アウシュヴィッツ第一強制収容所付近の駐車場に着いたのは11時15分くらいだった。数百台は停めれそうな大きな駐車場は、即に空きを見つけるのが困難なほど車、乗り合いバン、大型バスが止まっていた。駐車している車のナンバープレートを見ていると、ポーランド以外の国から来ている車も多い。隣国チェコ、ドイツ、オーストリア。そしてフィンランドの車までもが止まっていた。年間200万人が訪れるというのもうなずけるほど、欧州各国からアウシュヴィッツ強制収容所に来ている。

  現地ツアーが始まるのは12時。それまでの待ち時間は、トイレ休憩をしたり、タバコを吸ったり、駐車場の入り口付近にあるお店で軽食を買ったりと時間をつぶしていた。トイレの料金は、2ズロチで約60円。

  12時近くになると、いよいよアウシュヴィッツ第一強制収容所の入り口に向かった。私の参加した英語ツアーは、3人しかいないが、他のツアー会社と合同でツアーが行われるようで、結局30人近くの人が集まることになった。強制収容所の中に入ると、オーディオを受け取った。オーディオの周波数を合わせることで、ツアーガイドから離れていても声が聞こえるようになっている。

アウシュヴィッツ第一強制収容所入り口

           全員のオーディオ周波数を合わせ、ツアーガイドの声が聞こえるか確認すると、早速「働けば自由になる」という有名な門をくぐった。

  強制収容所内を歩いていると、綺麗に整備された収容所が規則正く並んでいた。「こんな長閑な場所で残酷な行為が行われていたなんて信じられない。」と思いながら建物を眺め歩いていると、ツアーガイドは突然説明を始めた。「アウシュヴィッツ第一強制収容所には、30件ほどの施設があり、おおよそ3000人から16000人ほどの人が収容されていました。」

 一通り説明が終わると、「建物の中に入ります。」と言いい建物の中に入った。建物の内部に入ってみて驚いたのが、他のツアー客が部屋から溢れんばかりおり、室内は扇風機が回っているものの人の熱気で蒸し暑かった。もし30件ほどの施設の中で3000人から16000人ほどが収容されていたなら、夏は暑かったんだろうなと思った。私がいった時は扇風機が回っていたが、収容されていた時代は扇風機など絶対にないだろう。夏は暑く、冬は寒い。過酷な環境のもとで収容されていたようだ。

  アウシュヴィッツ第一強制収容所と第二強制収容所ビルケナウについて説明をするツアーガイド。ドイツ統治下の地域から貨車などで運ばれてきた強制収容者は、アウシュビッツの強制収容所駅で降ろされる。人種、宗教、性別、健康状態などの情報によって労働者、人体実験、価値なしに分けられた。価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となる。その多くが女性、子供、老人だった。

強制収容所の中

  アウシュヴィッツ第一強制収容所では5件の収容所に入った。収容所の中には、当時使われていた大量のチクロンB(毒ガス)の空き缶、食器、靴、鞄などが無造作に重ねられ保存されている。アウシュヴィッツ強制収容所といえば、髪の毛の束が保存されていることで有名だが、配慮のため髪の毛の束が保管されているディスプレーは撮影禁止だった。

  横幅約20メートル。奥行きは約3〜5メートルくらいだろうか。大型のディスプレーの中を埋め尽くしてしまいそうなほど髪の毛が束になって積み重なっていた。上の写真に写っている大量の靴が髪の毛に変わった感じだろうか。いったいどのくらいの人の髪を集めたのか疑問に思うほど大量の髪の毛の束が保管されていた。           収容所を出てガス室に向かっている途中、興味深い物を見つけてしまった。ツアー客は誰も見向きもしなかったが、私はこの鉄のレールに見覚えがある。まさかと思い鉄のレールを一周し、レールの下から上を見上げた。首を吊るには丁度いい高さだった。ツアーガイドはどんどん先に行ってしまうので質問をすることはできなかったが、おそらくこの鉄のレールは首吊りに使用されたのでは?と思った。

  アウシュヴィッツ強制収容所を訪ねる前日、クラクフの郊外にあるシンドラーの工場跡で見た首吊り写真を思い出した。あの写真に写っていた首吊りをさせられた鉄のレールと同じ物だった。この場所で首吊りが行われたとは思えないが、なぜここに設置されているのか不思議だった。地下にある処罰室(撮影禁止)を見てきたせいか、ナチスならどんな惨忍な行為も平気でやってのけてしまいそう。結局、ツアーガイドはなんの説明もないまま無言で通りすぎてしまったので、この鉄のレールは首吊りに使われたのかわからず終い。

 

【ポーランド一人旅】アウシュビッツ強制収容所に行く前にシンドラーの工場跡で歴史の予習

 

  電線には高圧電流が流れているので脱走するのは難しかった。しかし、強制収容所での生活に絶えられない人は脱走を企みた。脱出した人数は約100人から400人程度とされている。ツアーガイドは何人くらい脱出に成功したのか正確な数字は言ってなかったが、ウィキペディアによると、

最終的に成功した脱走者数は、約150名であるとされている。成功した背景には内部のレジスタンスの協力があったとされている。中でも一番脱走者が多かったのがアウシュヴィッツ3である。しかし、収容所では、脱走があるごとに、脱走者の10倍の人数を見せしめとして無作為に選び、「飢餓刑」にすることが恒常的に行われていた。

 

ホロコーストが行われていたガス室

  アウシュヴィッツ第一強制収容所の撮影禁止場所は、髪の毛の束が保管されていた場所と地下にある処罰室。大量殺戮が行われたガス室も撮影禁止だろうと思ったが、ここは撮影しても問題なかった。映画で観たことがあるガス室そのまんまだったので、「縞模様のパジャマの少年」の最後のシーンが浮かんできてしまった。ガス室の天井を見ると、天井にはチクロンB(毒ガス)を入れる穴が何個も空いている。何も知らずにガス室に閉じ込められ、天井の穴から毒ガスを巻かれ、苦しみながら息が途絶えたのかと思うと、重いため息がこぼれてしまった。

おわりに

 外に出ると、15分の小休憩の後にアウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウに移動した。

 

【ポーランド一人旅】アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウを訪ねてホロコーストの歴史を学ぶ

 

 

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